肉体と精神、もしくは物質と表象に関する断片

 精神は全身に遍在している。
 当然だ。意識の依り代は神経なのだから。
 多寡疎密によって、精神がより多くあるかより少なくあるかが異なるというわけだ。
 情報処理器官たる頭脳はもっとも精神に満ちており、下唇や手や舌先には比較的多くのそれがある。反対に腰つきなどには疎らにしか存在しておらず、また例えば眼球自体には比較的少ない。


 では空間感覚はどうなのだろうか?依り代がなければ精神が飛び回ることが不可能であるならば、肉体を越えた感覚は不可能となってしまう。顕在的身体と潜在のそれとのギャップも説明がつかなくなる。
 依り代は自己認識の依り代であり、その全体の系が保全されているならば、その認識は一部が失われたとしてもしばらくの間持続するということか(幻肢痛など)?


 では体外感覚は?
 ボディマッピング 身体感覚は、物理的実感の「仮想virtual」だと考えればもろもろの辻褄が合うか?潜在的身体も、解離症状も。
 流入感覚から、物理的身体を「仮想」的に構築する。感覚は入ってくるけれど、物理的身体そのものに精神はアクセスできないということかな?で、そういう自己認知とは異なる次元、つまり物理的な方において、肉体は精神のメディアであると。


 メディアであることと、依り代であることとは、似ていながら少し違う現象を指し示していると言うことができるか。前者は物理的世界から、後者は意味の世界から同じ現象を記述したもので、それぞれが仮想するお互いは、指示されながらも微妙に違ったものとなりうる。インクの染みは必ずしも正確な意味伝達をなし得ず、器質を観察することが精神の有り様の一対一対応をまともに定義することが困難であるように、依り代として精神が仮想した身体は幻肢痛などに現れるようにして実情の身体との何らかの背馳を生じさせ得る。