雑記4
死にたいと思っていた人が生きて、これから生きようとした人が死んでゆく。世の中大概そんなものなのではなかろうかとは思っていた。
ま、確率的に当然ではある。死にたいという人は少数派で、また突発的に死んでしまう人の割合も小さいのだから、低い確率、たまたま死んでしまう人に生きたかった人が多いのは当たり前のことだ。
どんなときにもセックスと暴力はセットになって語られる。
例えば女性であるというだけで、常に既に被害者としての行動がある。男性はそうではないのに、女性は常に先んじて被害者性が根底に潜んでいる。悲しむべきことだ。この日本では特に。
痴漢、性風俗、もっと直接にさまざまな暴力。
女であるということはそのまま男というものに虐げられるということを意味する。それならいっそ男なんかいなければいいのに。
女である自己を嫌悪する話はよくある。男である自己に怯える話もある。逆は少ない。この社会においては、まずはじめに男は加害者で、女は被害者だから。
女は傷つけられやすいからだへの不安に怯え、男を羨む。からだにまつわる心を嫌悪する。男は加害してしまうだろうその身体の業を疎み、女を憐れむ。心にまつわるからだに怯える。
男は責任を取ることができないのだ。しかしそれは結局責任なんか取らないと言う話へと簡単に転化する。
本当に一日中ケータイを見ている
見つめ続けている。
気が狂いそうにならない
頭が少し痛くなるだけ
視力が少し落ちるだけ
(2019/1/28)