ある土曜日の夕方のこと

 帰ってきた。これから六時間なにで時間を潰そうか。練習サボって何してんだ、ほんとにそんな感じかも知れないけど、僕には今日ちょっと行けそうになかった。行ったら行けてしまうことになんとなく憤りを感じてもいたから、午前のうちに体調不良を伝えて欠席を決めた。仕方がないので渋谷に出てみたのだが、何もすることがない。退屈だ。建物に入ることはためらわれた。たくさんの商品が並ぶきらびやかな陳列棚を見ていると僕はいつもひどく頭が痛くなる。帰りたくないから家を出たけど、家に帰るより良い方法が見つからなかった。なるべくゆっくり帰れるよう各駅停車に乗った。ケータイの電源は極力切るようにして、珍しく、読書をしていたが気が紛れることはなかった。いつものように索漠とした気持ちを書き残したい気持ちが募るが、ケータイをいじらないと決めていたのでできない。そのお蔭でこんなに体調が整っているんだと自覚を改めることで我慢した。小説も一行を読むのが大変だ。知らない言葉を読むのは苦しい。それでも村田沙耶香は知っている言葉だったが、しかし知っていてなお刺激の強い、という類の言葉ではないようだった。
 電車を降りたらいつものように駅前の本屋に吸い込まれた。明らかに不毛だ。そのことに視覚的に気づいていたから、普段より早く立ち去った。スーパーに入ったが、目ぼしい食材がなかった。仕方がないから、少し迷いながらオリジン弁当に向かった。道行きに知り合いとすれ違った。僕は破顔して明るい声色をもって応えた。ひどくおかしく、頭の悪いことをしていると思った。オリジン弁当では悩んだ末に野菜炒め弁当を購入した。五百円なので高くも安くもない。店員の二人は感じが良かったが、レジスターがセルフだったのには何故か困惑した。帰路、漫画家と作家を比べる妄想をしようとしたが、すぐに壁に突き当たって飽きて疲れてやめてしまった。没頭することもなかった。悲しい人生だ。僕も「もうそろそろ」なんじゃないかと感じた。けれどことさら死ぬ勇気もないから、明日も今日を生きていくのだと思う。

 世の中のことや社会のことに、冷めたかのように面倒な気持ちを向ける人と、張り切って知ろうとする人との二人が僕の中にいるのだった。僕はそのどちらを選ぶことも出来ずに、都合よく二人を振り回している。この二人には勝手に動き出してくれるほどの自律性もなければ、小説の登場人物にしてあげられるほどの創発性もなかった。


 この程度のものは小説でも詩でもなく、手記だと思った。創作には多分なれなかった。