腹立ち紛れに老骨を蹴ってみる

家族のフリして、母も祖父も完足できない個体であって、息子らに甘え掛かることの出来ない寂しさを抱えている
隠しきれずに漏らしている
息子は息子で、何事かもわからない何某かの退屈に蝕まれて、何もしないで寝転んでいるだけ
けれど呑気でいるので、これでは一体何と戦っているんだか

ただ、母の甘えは僕には荷が勝ちすぎているということだけはわかって
祖父の甘えが僕の叶えられる望みの範疇の外にあることだけはわかって
けど憐れむこともせず僕も僕の寂しさを押し付けるのだから彼らと同類
僕は疑いなく彼らの子だ

「洗濯物、誰も手伝ってくれなかった……」拗ねた顔と声音で僕らに甘える母のことを僕は気持ち悪いと思う
家事なんか頼まれなきゃ絶対にやりたくないというのは僕らの生活スタイルの違いから来ていて
独り立ちすればいいのだろうけど、母親達はことあるごとに帰省をせがむので摩擦が生まれるのも否応ないことで
結局子供に甘えること自体間違っているんだ
祖父も祖父でさ、孫が自分に関心を示さなくなったらふてくされてさ、
プライドもあるから拗ねた心も隠して、隠しきれなくて不機嫌なのがバレバレでやんの
隠せないんじゃなくて言葉にする方法すら知らないんだけどさ
自分の気持ちにすら気づけないわけ

子供がほしい、孫がほしい、それはあなたの勝手なのですが、
僕は人がその人の勝手を表明するのに弱いから
あなたの涙を拭ってあげたいし、
よそ行きや堕落についていて慰めてやりたいし、
端目で見られると僕はなんて怠け者なのかと自戒せざるを得ないし、
僕に結婚を望むのならそうしないでいたいと思うのは悪いな
などと後ろめたさを感じるのです
それは僕の優しさではありません
これは僕の怯えです
打擲しないで!見捨てていかないで 失望しないで
とっくに失望してることくらいわかってるんだけどさ?
あなたはそれを隠して
あなたの甘えたい気持ちを叶いたいばかりに
あなたはそれを僕から隠して
あなたは報酬を先払いして僕のもとにいつまでも留まり続けているから
嘘ついて、十一で貸し付けて、それで優しい眼差し一つ向けることも出来ないくせにだよ
そんな鐚銭で僕らの歓心を買おうとしてるの
(働きたくないでござる!働きたくないでござる!)
働きたくないんです
勉強したくないんです
それがわからないようなのですね なんでそう思っているのか
あなた達がね
僕から命を奪い取っているというのよ
2235
暗闇の中、背中、母と姉との体から僕を護って
夏と違って分厚い掛け布団が僕の砦
ありの子一匹どころじゃない
水も漏らさぬ
いいえ
差し伸べられた手ですら拒むことができない
脆い砦
その中で


晦日と元日は特別な日だと認識していたので
なんてことのない日常と過ぎてしまったその二つは
空間歪曲率の極大なワームホールを潜り抜けたかのようにして
昨日は1月2日
明日は1月4日
それから一昨日は12月30日
ヤヌスの双頭はよじれてひしゃげて宇宙の隙間にいなくなってしまったのです


帰省しないで年を越したい
越してみたかった
子供は年寄りの冥土の土産だ
満足もしないのに手元に置いて一体何が楽しいのかわかりかねるけど、もう祖父にも友達や話し相手が居ないのだろう
耳も遠くなって
夏には妻も亡くして
ともにいたってお互いに気分良くなることないのに
ごちそう食べて幸せな家族、なんでやっててもあなたすぐ食卓から引っ込むくせに
わかってるんでしょ 無理があるってことくらい
介護に疲れて妻の死を願った そのことは呪いのように彼の体を蝕んで疲れさせているのだ
老いた体はますます老いて
矍鑠としていたはずの精神は見る影もなく、顔には老いが翳を落として
歩く背中にもいちいち陰を纏わせて
よく話もしたことのない人にまで「あの人も老いたね」なんて言われているのよ
軽くなった遺骨は墓の中だったり埋め立てられて個人の判別のできなくなったりして
もうこの家にはいない
もともといるかいないかわからなくなってたのだけれど、帰ってこない者の映し身はやっぱり映し身でしかなくて
祖母はますますいなくなってしまった
祖父は見合いの妻の死の床に、葬儀場に、焼き場や
焼き場や
葬式の晩の孫との大喧嘩に
体の半分を持っていかれて

かわいそう

なんてさ
自己と他人を弁別する言葉
異化してノエマを際立たせる言葉
かわいそうなのは祖父であるけれど、かわいそうに思う私はまるで祖父と区別がつかないのだ
2258


眠るべきとはわかっているのにね
懲りることなく暗闇でケータイをいじって
スマホのことを僕は頑なにケータイと呼び続けてしまう)
嫌な気持ちだろうな
少しは構ってくれるだろうと当てにしていた息子や孫には真っ昼間からぐーすか寝られて
そいで夜までケータイの光
堪ったもんじゃないよな
少しはわしやあたしのことを慰めろって
そう言いたいよな
でも無理
僕もわからないけれど
書きたくなくても
残さなきゃって思っているから
ごめんね
ごめんなさい
背中にいる母を感じて
そのきっと浸潤した股の間と
きっと尖っている乳首を思って
あなた、私に欲情しているのでしょう?
余りに脆い砦を、私もあなたも越えられないで
でもとっくにあなたは私を侵犯し征服してしまっているの
だから私は
かたり、と
ネズミの立てるような物音にも彼女らの顔色を窺って
暴力を振るわれたこともないのに
彼らの不機嫌に異常なほどまで怯えている
2304

涙はにじむ
あくび
目が乾いている
体も休みたいと言っている
書かねばならない
大した使命感も強迫もないのに
寝る間を惜しんで暇つぶしするのはほんとうに怪しいことだよ
そうだよね
みなさん
2306

母は懲りずに僕の方へ手を指し伸ばしてきていて
僕の振り向くのに合わせてサッと腕を引いて
客用の重たい掛け布団だけが私の安らぎの基地
あなたは

宵闇、公園で子供が遊んでいる

 公園で子供が遊んでいる。
 高学年の子どもたちが嫌な社会性を見せてこんな大規模な遊びをしている。とっぷり日の暮れた午後六時、こんな小さな公園に集って猿山みたいな声を出して、いじめしそうな女の子がいじめしそうな男の子と、一緒になって公園のブランコを定員越えてがたがた揺らしている。不良と呼ぶには可愛いけれど、こんなクソみたいなポップカルチャーが人々の心には必ず巣食っているのさ。ほら、こんな嘘みたいな蝟集の仕方ね、体もこんなに大きくなったというのに、こんなしみったれた公園に夜な夜な集まって、その上自分たちのカワイさ加減に気づかないことときたら、まるで三流のナンセンス映画みたいだ。けれど現実にそこで確かに起こっているんだ。有邪気(、、、)な子どもたちの集会が。遊ぶことでなく集まることに意味を見出してしまった、もはやつまらない子どもたちのハナっから下らない終末がね。でも小学生なんだよ。当然でしょ。

 子供は邪気のないものっていうのが幻想だって、僕は幼稚園にいた頃から知ってたよ。けれどそのことが理解できない大人って信じられないけど本当にいるんだ。みんな建前だって知ってると思っていた、けど違うんだよ、ほんとに信じてるの! そんなに子供のことが遠かったのかな、君たちも昔は子供だったのにね。それとも気づいていなかったの? だとしたら本当におめでたいんだね。そうなんだ、教育関係者はそういうことを平気で言うんだよ。でも僕らはサブカル漫画に描かれるまでもなく、学校に充満する鬱屈した空気を知っていた。ここに快活な遊びなんかない。教室の机の上は退屈と閉塞に絞め殺されそうな毎日で、だからじゃないけどせめてめんたま白く剝いちゃって、よだれ垂らしながら楽しく狂っていられたら楽だから……。そんな空気が僕なんかを平気で素通りして人々のあいだに漂っていた。夕方の商店街でおまけにくれるケチな天カスみたいな仮初の楽しみを、ばかなことや少しエッチなことや不真面目なことやスカしたことなんかに求めたりして、まるで熱いアスファルトの上を踊り歩くみたいにお互い肩をぶつけ合ってた。子供だからさ、みんな歩き方がフラフラしていて、水素分子のように軽やかに衝突し合って、そのことがなぜか愉快すぎて連鎖爆発的に笑った。楽しかったなあ。そんな日々を君が過ごしていないんだとしてら君はきっと本当にゴキゲンな人だったのだろうね。

 だからさ、僕の小学校の記憶は、下らない遊びと汚い空気、それからハーメルンの笛吹きに騙されてるふりした子どもたちの白けた正気。そんな息苦しさの色に塗り潰されててさ、とてもじゃないけど「学校楽しい?」なんてニコニコしながら聞いてくるおばさんなんか僕は正気を疑っていて、ぶっ殺してやろうかなんてところで思い留まってたよ。そんな人が将来子供なんか欲しいと思うかい? 真っ当な子供に育つように願っても、小学生になった途端に彼ら彼女らは欺瞞の塊、糞の山なんだ。そんな幼年時代を僕らは過ごして、そんな夕暮れに僕らは笑った。君らも笑った。見てて笑った。一緒に笑った。みんなでアッパラパーになっちゃって、手を広げてぐるぐるぐるぐる頭がイっちゃったかのように、飽きても飽きても廻っていたんだ。少なくとも僕の目にはそう見えた。僕の耳が、鼻が、舌が、全身が子供たちの遣る瀬ない叫びを感じていた。でもそうではなかったのかな? 今になってはわからない。今となっても理解できない。誰かに聞いてみたいなあ。聞いて問い確かめたい。でも同級生はこの世にいない。誰ももういない。いないのさ。だってそれは僕がもうこの世にいないから。

雷夜

 雷 光る
 夜 光る
 瞳が、 夜
 外套の 隙間から
 光る 光って
 宵闇の夜道を
 瞳が、      雨
 暗がりの 窓辺から
 光る……イ……カ……
 の/よう/な
 目……玉、の、
 ディス・プレーイ
 重苦しい 蔀
 は 野晒しの寝殿
 腐り 撓り
 禿げている 草いきれ
 屋根弾く音 頑な
 ウミウシのように路面に叩きつけられる
 こんにゃくの風雨
 ミジンコの ミ、サ?

 目
 玉
 が

 闇に企み
 無生物
 濡れ鼠の猫
 夜 光る

『勉強の哲学』(千葉雅也)の冒頭を読んで浮上した疑問

 自分というのは、個性的だがしかし同時に他者依存的に構築されたものである、というのはもっともらしい言い方である。しかし、他者依存的な構築を寄せ集めたところで、何らか根源的な自発性(木村敏)がなければ、つまり情報の集まりだけでは「個性的」にはならないということもまた確かなはずだ。そして、その根源的な自発性、「やりたい」という気持ちは、またそれ自体も無色透明ではなくて他者や出来事、出会いや文化によって着色されたものである。にも関わらず、自発的なのである。この事態はどのように捉えたらいいのだろうか。

 多くの人が自分の個性を、なんらか、自らの意識せざる内奥から湧き出て来るものとして反省的に感得している。なのにそれは他者依存的な構築によるものだし、だからといってその自発性はちっとも損なわれては来ない。他の存在者との関わりのうちで生成されてゆく、生成されてくる、そのようなものなのだ、と言えば分かった気になるかもしれない。しかしそれは何の解答にもなっていない。ただ、そのように言うしかないから問いの外形をなぞったというだけである。

 個性、気分、ノリ、理解や了解の暫定的な一まとまり。我々はつい、根源的な自発性のもっとも純粋なあり方を夢想し、それが自分にも備わっている、いや、むしろ自分そのものだという空想を働かせる。それは、一面においては当を得た空想である。それ以外は自分でありえないのだから。しかしまた、それは事実上ありえないことでもある。言語、イデオロギー、他者の思潮や主張、何らかの気分(不安や恐れ、快や喜びや悲しみ、愛憎など)によって、その根源的なそれでさえもが色濃く、それこそ根源的に着色され、切り離されることがない。その、色、というのは生来は全くの無色なものなのか?そんなことはない。生来、生得的(ア・プリオリ)にそれには色がついている(ア・プリオリだがそれは本質的か?それとも付帯的か?)。色のないもの(、、)が考えられないのと同じように、色のない自発性というのもまた考えられない。なぜなら、赤ん坊は生まれながらに声を上げ、自意識もないままに何らかの気分に浸されているからだ。気分とは、何らかの傾向性のことであり、生物学的に言う「走性」と等しいものだと言える。

 かといって、それが全く他者のものだということはないはずだ。情報だけで生き物は動くことがない。死したネズミの前にミミズを置こうが、その骸が動き出すことはない。物事はセンスデータ(ヒューム―ムーア、ラッセル)の集積に還元されるとは考えづらい。愛するものを愛する時、人はそのものを何らかの属性によって愛するのではない。そのものの名において愛する。しかし、そのものから情報をさっぴいてしまうと、根源的なものが取り出せないにも関わらず、全てが消えて無くなってしまう。自己においても他者においても、これは問題になる。個体生成の原理やトロープ、述語に還元されない主体とも呼ばれうるだろう。

 しかしここではとにかく実存主義的な自己気分についてのアプローチから疑問を出発させよう。個体生成論としては、ペルソナの次元から話を進めよう。それからあとでゆっくりと、それが本質性や附帯性とどのように関わるか調べよう。……いずれにせよ、ここには何らかの自発性、すなわち「個性」――「個」性、生命性としての自発性が必要だ。それは自発性でありながら、他者によって構築されていると語られるような、今のところは意味不明のものである。

 他者、しかも他の存在者によって構成されて、それ以外のもの(、、)は無いはずなのに、根源的に自発的で、自己そのものであると言うそれは、一体何なのだろうか。一体何から出来ているのだろうか。どのように出来ているのだろうか。事実上弁別が出来ないはずであるというならば、反対に、権利上は何らかの区別がつけられるだろうか、それを構成する「他なるもの」と、その自発性それ自身とは。

 鍵となると目しているのは、鬱症状などに現れるような「水位の低さ」(低水位:ツェラン)や統合失調症における陰性症状、また健常の一も日常的な気分の範囲内で経験するような、やる気の増減のようなそれである。または、発達障害者や虐待サバイバー、PTSD患者のように、自己の欲望がうまく経験できない事態である。何らか他者的でありつつも根源的に自発的でもあるこの個性――「個」性――が、乏しくななったり増したりするその現象である。それは鬱症状であればまさに水位が下がることであり、自発性が水位に擬えられている事態である。その時、他者性の何が損なわれているのだろうか。自己性がどのように損なわれているのだろうか。水位が低いとはどのようなことを指しているのか。自己性と他者性はここでどんな関係があって、何らかの欲望と関わり合っているのだろうか。

Erikson「女性は結婚するまでアイデンティティを確定させることができない」

 例えば昭和世代の夫婦の恋愛期において、男から女に与えられる餌は、こんな私を熱心に口説くという自尊心であるが、しかし男が持つのは下心だ。ホモソーシャル的な力関係の勾配。マッチョイズムによる搾取的構造。その恋愛ゲームの結果満たされてしまった女が、「もう少し高めのまでイケそう」だと思い上がっている男と結婚する。すると、建前的な倫理によって、男は欲望を禁じられる。……。

 「我慢して結婚してやったんだ」

 女はようやっと持ち得た自尊心を持て余す。結婚する頃には、いくら男性優位の社会といえども一廉として認められるからだ(寧ろ結婚こそが一人前の証だと言える)。女は男への不信と不満に身を苦しめる。寂しさではなく憤り。結婚当初が幸せなのは当然で、それは女の自尊心の満ちと男のターゲット支配欲の均衡が取れるとかろうじていえるわずかな一瞬だからだ。女性が心優位とか言われるのは厳密には嘘で、それは男権的な構造がもたらした自尊心の収奪と恩賜というマッチポンプで女が男によって依存せざるを得ない風に持ち込まれているだけだ。

 しかし女は気づいてしまった。気づいてしまった。今まで自分の心が欠乏の深い穴とともに歩んできていたことに。気づかれてしまったその自尊感情は、残念ながら、もはや継続して与えられないと満たされない。彼女らは育て直されることのできない、すでに大人に育ってしまったのだ!それなのに、それを与えるべき男はというと、これ以上「サゲマン」に関わっていてはまずいとばかりにエサを取り上げようとする。女を家庭に押し込める男たちの力学は、女たちにもたらされるべき自尊心の供給路を極めて狭く限定する。女を閉じ込めた一方、男は何を考えているのか。「もっとイケそう」な女を求めたいのが本心だ……だって下心で女を「モノにし」たのに、ついうっかり間違えて結婚なんてしてしまったものだから。

 けれど結婚は人生の墓場だなんてまったく恐ろしい勘違いだ。マッチポンプも極まって呆れるほどだ。結婚は、人情いな世間体などという男の愛着とでもいうものにつけ込んで、女らの生命線、自尊心の供給源たる男を、彼女らが確保し続ける、そんな制度として機能していた。つまり、男が女を搾取するための構造から、女が身を守るための、女の数少ない防衛手段として機能(文化人類学的な意義は不勉強ながら知らない)していたのが昭和時代に典型の「カップルの結婚」なのだ。女の嫉妬と男の不義理、どちらが先かと言われればそれは迷わず後者に決まっている。それを棚に上げて女の側を詰るのだから!男の不幸は女性を獲得財として狙うところに由来する自業自得だ。

 ……話が逸れた。男は「あいつならイケそう」な女を口説いて自分のものにして、自尊心を満たすために勝手に愛して、それで知らぬ間に女に自尊心を与える(「昔はあいつももののわかった良い女だったのに!」)。自尊心を「与えられた」女はこれまで気づかなかった欲望に気づく。男には許されてきながら女には許されなかった欲望だ。しかしそれは叶わない。なぜならそれは男にしか許されない欲望だから。そのような欲望は支配欲と呼ばれる、所有の欲望の近傍に位置する概念だ。自尊心を高められた女が気づくのは、自尊心を持てるものだけが保つ欲望で、自立したものの持つ自己拡大の欲望で、そして気づいたものが皆それを果たせるとは限らない。それを世の中の半分が満たすために、男は女を被搾取層として措定したのだ。

 果たしえない欲望を得た女はどうするか。男を詰るか、ホモソーシャルを内面化して、気長に構えるのが正妻の誇りだと考える。自尊心に素直に従うか、それを倒錯させて男への依存に生きる高潔を演ずるか。はたまた、有閑マダムとしてでも、どうにかこうにか過ごしましょうか。幸い、時間と稼ぎだけはたくさんあるのですから……。

雑記6、昨年秋の陰気な言葉

 暇がある訳じゃないのに暇潰ししてる
 暇潰しじゃなくて、暇うずめなんだけど
 満たすもの探しなんだけど
 たまたま見つからないだけなんだけど



 ひたすら時間の流れから目をそらして無為な日々を無為に過ごしてきた
 しかしそろそろ現実に目を向けねばなるまい
 明日こそは歯車の噛み合った日に
 明日こそは充実して呼吸する日に
 くたくたになって絶望しながらも、毎夜翌日の消費から逃れることを望むのだ
 それがその度裏切られ、諦められ、気づけば休みはなくなっていて



 自分だけの感情が、現象としては否定し得ないだろうと書き続けてきたが、間違いだった
 結局、存在しない感情を、恣意的に選び加工して記述しているだけにすぎなかったのだ
 確かに思考は言語化によってはじめてそれとなるけど
 しかしそれは、選択しているという自覚や迷いなどあってはならないものだったはずなのだから


 美しさは所有するもので
 年月と共に所有できなくなるもので
 一度持ったものというのは手放したくないものでもあって
 しかし本当は所有ではなく貸与されたものであるから、
 失われゆくことは必定だけど誰もその事を潔しとできなくて



 苦しんで死ぬ



 ゆく先々のことを考えたくない
 先行き
 先行きは
 宿の食事や
 身の処し方や
 あらゆる先行き
 先にゆくことから
 目を逸らしていたい
 ゆく先々から
 目を逸らし続けていたい
 そんなものはないか

 ゆかない先々は
 ないものか



 気持ちが落ち込んでいて
 からだから力が抜けていて
 暗くもやもやしたものが充満していて

 虚脱

 とまでいかないまでに狂ったところで
 足は確と地を踏みしめて歩くので
 私は自分がどうだかわからなくなってしまうのです



 あたしはどうしてやくざな理解の仕方しかできないの
 哲学も音楽も社会も学問みんな
 やくざな記憶の仕方しかできないで
 さっさとわかった気になるか
 いつまでもなにも知らない十歳児童のように
 まんまるの瞳をばかみたいに見開いて
 周囲を奇異と困惑の視線で見渡すことしかできないの


 陰気で私的な言葉たち 日々のあぶく
 気取り屋 かっこつけ


 くたびれた衣服
 垢で光った襟ぐり
 胃下垂
 なまぐさな朝
 日溜まりに横たわる猫の腹
 煙草の煙る事務室
 斜に差し込む光 北向の部屋
 薄いミルク
 撫で肩
 鈍色の夕焼け
 赤褐色の沈澱
 机に凭せた左肘
 水平線に沈んでゆく
 一日
 落陽


 安定航行なんかないからこそ、大きく転覆することもまたあり得ない
 自分の判断に自信が全く持てないのだ
 自分のことは、まるで何にもならないと思い込んでいる
 反対に、他人の判断が僕のなかにするりと紛れ込んで、そういうものを軸に私は形成されるけど
 それを私が延長することはあり得なくて
 私は屍の累累たる塔を構成する塵芥にすらならないのだ

 だから私はスーパーでプリンを買って逃げ帰るの


 ああ死にたく 生産性のない夏


(死にたいと語る人々も私よりは生産性を産み出しているのだ 奇妙な言い回し)



 自分がわからないからそういうことするんだと思うの
 わかっていたなら、全くとは言わないけど、少ないんだと思うよ
 自分が不安定だから、そういうことして確かめようとするの
 わかる?


 俺がこれでいいのだと胸を張れるものを見つけるか
 そういうところに落ち着くか
 俺はどれでいいのだ?


 わからないから、肉体の快楽でお茶を濁して忘れるのだ
 手の届きやすいところにそれはあるから



 女一匹 出口なし
 そもそも
 なにが女かわからない

 男一匹 出口なし
 そもそも
 自分が男かわからない



 僕と一緒にいても誰も幸福にならないからさ
 だから緊急避難の友達付き合い以外
 深く関わり合いになることなんかさせられない
 僕も苦しいし、あなたも苦しいから
 恒常的にこんな人間の元にいたら毒が回ってしまうよ

(ならもっとも密接しているあなた自身の苦しみはいかばかりか?)

 そんなこと言ったって、僕は僕から離れられないのだから
 自己犠牲の精神じゃないよ
 やっぱり僕の苦しみはあなたの苦しみだから
 あなたの苦しみは僕の苦しみでもある
 人を苦しめる人を僕は迷惑な人だと思う
 それでなくとも、非本質的な人だと見棄てるくらいはするからさ

 せめてあたしはそんな人にだけはならないようにね
 そうしてあたしはあたしの身分を防衛するのよ



 だめだなあ
 なにか卓抜しているかと思うけど
 その実何にもしてないんだものなあ
 勉強しなければ
 能力も結実することはないのだからなあ



 想像もつかない想定
 反抗を許さない反抗期


 何にも興味や関心をもって働こうという気になれないのです
 それがわたしがたくさんのそれらをおとした理由
 そんな中でもリソースを使ってぎりぎり踏みとどまったのが六つ それだけだったのですから
 
 なんてね
 あなたにこんな話しても、通じないでしょうから
 通じたところで、あなたの同情を買うくらいしかできないのですから


(なんの物理的効用もなく
 なんの精神的修養もみえず
 仲間もつくらず
 ただ聞いてもらって消費されることもないだけの
 僕の言葉
 身銭を切った僕の言葉だ)

窃視

 見られないことを補完しようとして見る。電車なんかでキョロキョロしてしまう人はだいたいそういうことなんじゃないかと思います。自分が見られてこなかったそのことがすごく悲しいのです。自分が必要とされてこなかったその歴史はとても虚しいものなので、そういう人たちはまだ自らがきちんと一人の人になっていないのです。彼らはいままで、たとえ目が合ったとしても、気まずい思いをしたことしかありませんでした。見られなければ、見る権利は与えられません。でも、見なければ相手も自分を見つめ返してはくれないのです。彼らの人を面と向かってきちんと見据えてこられた経験はとても貧しいものになります。彼らは人の目を見ることのできない自分の目のことを、汚らしいものだというふうに感じます。汚らしいから触れられないのです。汚いものできれいなものに触れてはいけないのです。ああ、私の目が汚れてさえいなければ、私もあなたと目を合わせられるのに。

 けれど、見られていないということは同時に、見ていることもわからないだろうという予断も生みます。いえいえ、実際は違いますよ。見られていないということは見るなということでもあるので、そんな拒絶の予防線を張っているときにバリアーぶち抜いて突き刺さってくる視線は極めて煩わしく不快なものです。けれどその人たちには、見てきた経験がないのと等しい程度において、見られてきた経験もないのです。彼らには他人のことがよくわかりません。なにせ自分のこともよくわからないのですから。あるいは、わからないということにしてもいいような気がします。見られてることが知られそうになってもすぐ逸らせば大丈夫だと思います。自分がまるで透明人間になったかのように感じて、ギリギリまで不躾にもじろじろ見るのです。

 ところで、大概の人は常識とか自意識とかいうのを持っています。他人は視線に敏感で、場合によってはそれを汚らわしく感じる。実感がわかないとはいっても、ジロジロと他人を睨め付けることが失礼なことだということくらい、大概じゃない人たちもほんとうはうすうす勘付いています。だから、窃視がばれて目が合ってしまったときなどはやっぱり、むしろ普通にしてる人がそうなったときよりもはるかに強く、気まずい思いをするわけです。ああ自分ってなんて気持ち悪い。こんな下品な瞳を僕は私は有している。自分の卑俗な視線が他人の視線さまに火傷してそのまま自分に跳ね返ってきます。私の目の隈は赤と白とのだんだら模様。手を引いてくれる美しい娘も道化もありません。

 そういう経験を繰り返すとどうなりますか。他人の視線に怯えながらも見ることを止められませんのです。だから倒錯してしまいます。自分は誰からも注目されていませんのに、それでも邪悪こそははっきりた伝わりましょう。そのように思い做します。ひどい場合には、思考伝播……。その人たちは極めて強い後ろめたさを感じながらも、見ます。隠れて、気付かれないように、人に紛れて、窃視します。ああっ、おお、これ。いや、あー。え?しまった。しー。見ていることに気づかれてはいけません。人から見られてもいけません。見ていないふりをしていますし、見られていないふりもしています。なのに悪事を働いていることだけは見透かされる中途半端な透明人間の私です。こんなどっちつかずな自分にもようやく嫌気が差してきます。それでは見ても見られても良い存在になりますか。それとも見られるのは嫌だけどその代わり見ることもしない存在になりますか。いいえ、どちらにもなれるわけがないのです。結局のところ残るのは、本質的な日和見将軍だけです。この、意気地なし!
 
 そんなわけで、人を見てしまうことのその根本には、今まで誰にも注目されてこなかった自尊心のなさが必ず根を張っているのです。あの人が人を見ているのは、正しい仕方で人から見詰め返してもらいたいからなのです。

雑記5

 やる気はあるのに金銭的な余裕がないせいで道を諦めなくてはならなくなった人。余裕は人並みにあるけどやる気が出なくて道に進むことが出来ない人。どっちのほうがきついんだろう。どっちもきついよな。たぶん。一番不幸なのは、お互いにお互いを贅沢だって思って逆恨みすること。


 理解を必要とせず自足している人間は、魅力的だ。貧困に喘ぎ、絶えず理解を求めようと説明を繰り返す切実な人たちにはないものがそこには見える。


 自分が救われたことを書いてもいいけど、その仕方を他人に敷衍しないでほしい、鳥肌が立ってしまうから。それが深夜ポエムの押し付けがましさだ。
 ポエムは作者を示す記号であり、作者が消えて読者がその前に立ったとき、それは示す当のものを失って押し付けがましくなる。
 反対に詩は何者をも示す記号でない。それで自足している意味内容だから、それは作者を指し示さず、それは直ちに読者のものになる。芸術一般そうだろう。
 自己の特異性を「作品」を通して示そうとするときそれはどうしても深夜ポエムになってしまう。そういうこれはポエムだろうか。それとも何事かを示す述定的文章にきちんと見えているだろうか。


 若く美しい 老いさらばえて醜い
 これは常に一つのセットですか。
 若くても醜い 老いてなお美しい
 これは逆接です。
 若く未熟だ 老いて成熟している
 これは内面の形容。見てくれの美ではないです。
 若く瑞々しい 齢を重ねて重厚だ
 これは両者痛み分け。優劣を覆すものではありません。
 若いから醜い 老いたから美しい
 これはありますか。
 老年の身体に、若年の身体を上回る美(逆説的な美や逆接、精神的な美しさではないです)が認められますか。

 
 末尾に来るのは疑問ばかり
 退屈な虚偽ばかり
 責任逃れの拒否ばかり
 信じられない歔欷ばかり


 我々は読書するとき、自我や自己をなくしている。現存在は書物と私とのあいだに、立ち・現れてきた、意味に統合され、「気づいたら」時が経っている。現在において時は進まない。というよりは、気づくその時まで時間は消滅している。人は観測者的であるという客観の地位を手放して純粋直観に一元化する。このとき人は「考え」ているわけでもなければ、なんらの「もの」でも実体でもない。


 逃げるというとき、自分はどのようにすればよいのだろうか。
 呪縛から逃れるというとき、僕は何に気をつければよいのだろうか。
 自分をいたわるというとき、どうしたら自分をいたわったことになるのだろうか。


 理解のあるフリしてしっかり持ってる。
 自由を与えてるフリして離したくない。
 弁えてるフリして執拗に監視してる。
 

太陽が眩しかったので

 白昼思わず声が出た。
「うわっ、死ね!」
 爽やかな日差しの住宅街に軽い声。前を歩いているサラリーマンが振り返った。何年も前の嫌なことがフラッシュバックして、過去の自分を罵った。自転車に乗ったヤクルトレディが聞かないふりして僕を抜き去った。

 高校2年の頃だ。僕はラインを入れるのを渋っていた。おかしなやり方で、硬派を気取っていた。気取らなくてはいけない気分にとらわれていた。それでも膝を屈して、部活のラインに加入した。
「あ、〇〇来た笑」
「なんですか、その「あ、ほんとに来た」みたいな笑」
 そんなんじゃないよ〜、と弁解をもらったが、正直その言葉すら空気を守る方便なんじゃないかと疑う心が止められなかった。本当は、末尾の「笑」すら付けたくなかった。
 自分のやり方が空気を壊すことはわかっていた。この少人数の部活のふわふわとした嘘つきの和やかさに僕は馴染むことができなかった。それでも馴染めないなりに馴染もうと努力していた。しかし依然として、訳を知ったかのような「大人のような」当たりの柔らかさが心底嫌いで、恐れていた。そういう空気にそぐわないようなことばづかいは、極めて冷たく排除されるような気がした(排除しない柔らかさ、という形で)。僕は元来、あまり育ちのいい人間ではないかった。加えて、きっと本当に僕は彼らと住む星が違っていたのだろう。窮屈でいて、しかしそれでも僕の言動はどこか周囲をひりつかせた。僕は「不安定」と言われた。キャラクターが迷走している、という意味だ。

 中学のときから陥っていた疑心暗鬼は収まる気配を見せなかった。素直な気持ちを諌める、過度に意地悪な自分が常に自分の揚げ足取りをしていた。少しでも嫌われる余地があれば、そこを執拗に突きつけてきた。

 ある日、下校しようと下駄箱を開いた。手作りらしい袋に入って、某か手紙がぎっしりと詰まっていた。「こういうときは、どう思えばいいんだっけ……」えっと、答えは嫌悪と吐き気だ。そうだった。僕は期待する心を押さえつけて、まず初めの封筒を開いた。そこには、「好きです」みたいなことが、簡単に書かれていた。「うわ、気持ち悪い……」そう思うようにしながら、大きな手作りの封筒を開いた。下手な筆致で僕の似顔絵らしきものがでかでかと笑っていた。

 血の気が引いた。封筒を取り落とした。人に見られぬよう急いでカバンの底に突っ込んだ。跳ねる心臓を誤魔化しながら、自宅へ続く道を急いだ。零れ落ちそうなひどい曇天だった。誰もいない暗い家で、ソファに腰掛けて封筒を検めた。嫌悪が期待と怖気とにほんとうに混じり合ってしまって、もう何もわからなくなってしまった。

 僕の部活は誕生日イベントというのをよくやった。たくさんある封筒はみな部員からのメッセージで、その多くは大概、僕を祝った言葉だった。部長からの手紙の末尾にはこう書かれていた。「どう?もしかして期待した?笑」
 さすがに冗談にしても悪質だと思った。ほんとうの意地悪じゃなくてよかったとほっとしたように緩む口角を恨みながら、僕は自分の部活を心底呪った。一体何に踊らされているのだろう。悪意がオブラートに包まれて、こうして自分の手によって自宅まで配達されてきた。封筒たちはなるべく人目につかないところに隠して仕舞った。次の日の放課後は何事もなかったかのように、少しの照れ笑いを作りながら部活へと向かった。

 本当は誰が悪かったのだろう。いやみったらしい部活の空気か。キャラの定まらない僕自身か。本当はみんな作り話なのだ。ラインなんか高校に上がってすぐインストールして、毎晩遅くまでスタンプを送り合った。部活は帰り道にボーリングやカラオケに寄っていくほど仲良しだった。あんまりなメッセージなんか目にしなかった。人からの贈り物に吐きそうになるなんてこともなかった。それでも僕は毎日口から飛び出しそうな衝動を押さえつけるのに必死だった。未だにわざとらしい現在と好対照に、いつも生々しく本物の衝動だ。それで時折こうして出て来てしまう。過去に怯える情けなさを人に知られぬようにしている。戦のような日々。過ぎゆくことを毎日祈っている。

否認

描線うまくて嫉妬する
語学が勉強出来て嫉妬する
言葉がうまくて嫉妬する
人と話せて嫉妬する
体がきれいで嫉妬する
本を読んでて嫉妬する
歌がうまくて嫉妬する
仕事がわかって嫉妬する
車を運転できて嫉妬する
ノートを取れて嫉妬する
友達が作れて嫉妬する
朝起きられて嫉妬する
嬉しそうで嫉妬する
辛そうで嫉妬する
幸せそうで嫉妬する
不幸らしくて嫉妬する
音楽が聞けて嫉妬する
涙が流せて嫉妬する
詩が書けて嫉妬する
詩を読めて嫉妬する
何も書けなくて嫉妬する
何も読めなくて嫉妬する
断定に嫉妬する
抑圧されてて嫉妬する
いかにも強くて嫉妬する
書くことが出てきて嫉妬する
話が上手で嫉妬する
知識に嫉妬する
知恵に嫉妬する
頭の働きに嫉妬する
疲弊して動けないのに嫉妬する
いつも気弱そうで嫉妬する
胸張って生きてて嫉妬する
無理だと言えるのに嫉妬する
無理なんて言えないのに嫉妬する
自信があって嫉妬する
自信がなくて嫉妬する
自信がないと信じていて嫉妬する
いい母親で嫉妬する
悪い家庭にも嫉妬する
病気がないのに嫉妬する
持病があるのに嫉妬する
眠れるのに嫉妬する
眠れないのに嫉妬する
分かって嫉妬する
知らないのは馬鹿だなと思う
好きそうで嫉妬する
自立していて自立していて自立していて
依存していて嫉妬する
算数ができて嫉妬する
勉強ができて嫉妬する
勉強をできて嫉妬する
記憶ができて嫉妬する
掃除をできて嫉妬する
熱情を持ってて嫉妬する
言葉があって嫉妬する
一人に嫉妬する
二人に嫉妬する
三人に嫉妬する
考えて嫉妬する
街に出られて嫉妬する
嫉妬する
嫉妬するのに嫉妬する