2018-01-01から1年間の記事一覧

詩にならない

午後一時の太陽 は こんなにもきいろかったのだろうか 蜂蜜色の光が壁にかかった布団を舐めて 遠くの空は春のように霞んで 思ったより低い陽光に僕は目を細めて 肌に感じる涼しげな空気だけは 冬 多くの人々は屋内で仕事をしている 女の人が外を出歩いて買い…

マクドナルド

食べてる 噛んで食べてる 食べてる この世の憎しみ 私 パティとチーズとケチャップ 唇のヘルペス 噛んでる 噛んで食べてる 忘れようとする 忘れる なにを なにかを 嫌な気持ちもない なにかを なにを 忘れる? 忘れようとする 嫌味 噛み締める 軟骨 バンズ 1…

「死にたい」という語りについての小片

死にたいじゃなくて消し去りたい 過去とそれを持つ自分の存在ごと 「死にたい」と何度も語ったことのある人には、ふと「けれど『死にたい』んじゃないんだけどな」と考えることがあるだろう。たとえば、「死にたい」のではなく、自分の"悪い部分"を腑分けし…

死者から生者への“レクイエム”

「死者から生者への鎮魂」とは果たして可能なものなのだろうか? まずは「生者への鎮魂」という部分である。鎮魂とは、荒ぶる魂をおさめようと働きかける儀礼のことだ。未だ静かならず静まらぬ魂を、鎮める営為を我々は鎮魂、と呼ぶ。 多くの場合、それが取…

(無題のドキュメント)

簡単にいってしまうとですね、僕ら若者世代はみんなロストジェネレーションに憧れているのです。僕の周りの人たちってみんな偉いですよ。人や時代のせいにしようという人は誰もいなくて。人はみんな自分にできることをおおよそ全部きちんとやって、若いのに…

肉体と精神、もしくは物質と表象に関する断片

精神は全身に遍在している。 当然だ。意識の依り代は神経なのだから。 多寡疎密によって、精神がより多くあるかより少なくあるかが異なるというわけだ。 情報処理器官たる頭脳はもっとも精神に満ちており、下唇や手や舌先には比較的多くのそれがある。反対に…

桜桃

自己犠牲よりもエゴイズムを、という偽悪的な転換である。子供よりも親が大事。仕事よりも自分が大事。後者はオマージュという発想の貧困だけでなく、幾分痛々しさも陳腐であるらしい。当然だ。現代において集団よりも自己を優先させることはより正義に親し…

口を開けば他人の悪口

というのは雑踏のなかで僕の耳が聡くも鋭く拾ってきた台詞であるが、大体そういう人は本当に悪口が大好きなのかというとところが案外そうではなくて、彼ら自身は周りの人こそ自分にそういうことをさせた(、、、)のだと思っている。「これは一種のさせられ…

幸福についての貧しい端書き

幸福というのは、所謂安心とかとはちょっと違って、というのはつまり磐石な土台があるとかそういう感覚ではないのだろう。幸福を感じるとき、安心するとか人は言う。しかしそうではないように思うと言うのがこの議論の核である。そのとき人はむしろ、実存的…

論理に対する、判断の原理的な飛躍について

判断と言うものは論理的思考から導き出されるものではなくて、最終的にそこを飛び越えるものは価値観、つまり選好なのだと思う。だから、合理性と言うものが何への選好に基づく論理的思考であるか、という判断は、時代や思想によって簡単に変わりうる。 ここ…

人格についての呟き

人格というのは点が立体や四次元実体のなかに沢山のものが存在している状態のことを表す言葉で、これを語るというのはそれらを繋いで線にして物語にするということ。およそ無数と言ってよい程度の数量の点がそこにはあるわけだから、これを語り尽くすという…

書き溜めたものはあるのだが

書き溜めたものはあるのだが、それを記事にするのが避けられている。 なぜかと言うとそれは編集作業の労力や時間を作れないこととかもあるのだが、こういうことは頑張れば出来るし時間だってその気になれば作れる。では何が、というと、まあ、その気になれな…

文学性、傑作?

「物語はハッピーエンドがいい」 ......果たしてこれは、許されるのだろうか。それとも文学研究者や文学者が語るように、願いは成就してしまったらそれは甘く、文学ではない。夢は破れて現実へと帰ることが求められるのか。私見では、このオタク的ユートピア…

雑記

優しい人は、規範から逸した感情的衝動行動―狂気―を、理解できるつもりでいる。事実そのような素振りを示していて、それはそう確からしいのだが、しかし本当のところは、それを理解することを拒否しているのではないか。ある時は我とも気付かないうちに蔑み…

リズと青い鳥覚え書き

未整理の論点を一先ず纏めておく。 現在素晴らしい論評やブログを幾つか発見している。また今後パンフレットや資料(いずれも未入手)を読み込むことで論点は増えるし、私には指摘しきることはできないだろう。二次文献や制作者側の情報を仕入れることによる…

縄文土偶についての試し書き

縄文土偶は、宗左近の断片的抽象詩としての性格に加えて、三善晃の原初への意志、殊にセクションにぶつ切りにして行く異色の作曲技法により、スキゾフレニックな印象を強く与える。常に前言を叩き切って行く意志がある点において、本質的には異なるが。 宛ら…

言論活動について

直観から細部へ渡ってゆく。細部から直観、全体を構成する。どちらでもよいと思うのだが、全体ないし細部のみで充足してしまうのは、前者の場合印象批評に成り下がるし、後者の場合は細かな演出ばかりに気をとられて作品としての完成を見失う。 ぼくの批評は…

リズと青い鳥、作品評"以前"

『響け!ユーフォニアム』の続編、且つスピンオフにあたる、山田尚子監督作品『リズと青い鳥』のレビュー的落書きである。 私は二度鑑賞したが、根本のコンセプトにおける印象はその二回で少々変わった。初見においてはラストシーン、二人が笑顔でならび歩く…

否定的殴り書き(よつばと!14巻他作品全体に関して)

新刊が出たのだが、読めば読むほどこれが幸せなディストピアに見えてくる。幸せのパッケージとして現代にどんどん絡め取られてゆく気がする。 クレープのホイップクリームのような甘い夢想に溺れて、静かに、変わらず終わらぬ、成長すらもなく、ただ大人たち…

方針

当ブログは私が個人的に書き溜めたものから、公開してみようかと思った端書きを投稿するものです。 ・ジャンルを特定しません。主題を明示しない場合もあるかもしれません。・純粋にブログ向けに書いた記事は、この記事を除いて生まれないことと思われます。…