Erikson「女性は結婚するまでアイデンティティを確定させることができない」

 例えば昭和世代の夫婦の恋愛期において、男から女に与えられる餌は、こんな私を熱心に口説くという自尊心であるが、しかし男が持つのは下心だ。ホモソーシャル的な力関係の勾配。マッチョイズムによる搾取的構造。その恋愛ゲームの結果満たされてしまった女が、「もう少し高めのまでイケそう」だと思い上がっている男と結婚する。すると、建前的な倫理によって、男は欲望を禁じられる。……。

 「我慢して結婚してやったんだ」

 女はようやっと持ち得た自尊心を持て余す。結婚する頃には、いくら男性優位の社会といえども一廉として認められるからだ(寧ろ結婚こそが一人前の証だと言える)。女は男への不信と不満に身を苦しめる。寂しさではなく憤り。結婚当初が幸せなのは当然で、それは女の自尊心の満ちと男のターゲット支配欲の均衡が取れるとかろうじていえるわずかな一瞬だからだ。女性が心優位とか言われるのは厳密には嘘で、それは男権的な構造がもたらした自尊心の収奪と恩賜というマッチポンプで女が男によって依存せざるを得ない風に持ち込まれているだけだ。

 しかし女は気づいてしまった。気づいてしまった。今まで自分の心が欠乏の深い穴とともに歩んできていたことに。気づかれてしまったその自尊感情は、残念ながら、もはや継続して与えられないと満たされない。彼女らは育て直されることのできない、すでに大人に育ってしまったのだ!それなのに、それを与えるべき男はというと、これ以上「サゲマン」に関わっていてはまずいとばかりにエサを取り上げようとする。女を家庭に押し込める男たちの力学は、女たちにもたらされるべき自尊心の供給路を極めて狭く限定する。女を閉じ込めた一方、男は何を考えているのか。「もっとイケそう」な女を求めたいのが本心だ……だって下心で女を「モノにし」たのに、ついうっかり間違えて結婚なんてしてしまったものだから。

 けれど結婚は人生の墓場だなんてまったく恐ろしい勘違いだ。マッチポンプも極まって呆れるほどだ。結婚は、人情いな世間体などという男の愛着とでもいうものにつけ込んで、女らの生命線、自尊心の供給源たる男を、彼女らが確保し続ける、そんな制度として機能していた。つまり、男が女を搾取するための構造から、女が身を守るための、女の数少ない防衛手段として機能(文化人類学的な意義は不勉強ながら知らない)していたのが昭和時代に典型の「カップルの結婚」なのだ。女の嫉妬と男の不義理、どちらが先かと言われればそれは迷わず後者に決まっている。それを棚に上げて女の側を詰るのだから!男の不幸は女性を獲得財として狙うところに由来する自業自得だ。

 ……話が逸れた。男は「あいつならイケそう」な女を口説いて自分のものにして、自尊心を満たすために勝手に愛して、それで知らぬ間に女に自尊心を与える(「昔はあいつももののわかった良い女だったのに!」)。自尊心を「与えられた」女はこれまで気づかなかった欲望に気づく。男には許されてきながら女には許されなかった欲望だ。しかしそれは叶わない。なぜならそれは男にしか許されない欲望だから。そのような欲望は支配欲と呼ばれる、所有の欲望の近傍に位置する概念だ。自尊心を高められた女が気づくのは、自尊心を持てるものだけが保つ欲望で、自立したものの持つ自己拡大の欲望で、そして気づいたものが皆それを果たせるとは限らない。それを世の中の半分が満たすために、男は女を被搾取層として措定したのだ。

 果たしえない欲望を得た女はどうするか。男を詰るか、ホモソーシャルを内面化して、気長に構えるのが正妻の誇りだと考える。自尊心に素直に従うか、それを倒錯させて男への依存に生きる高潔を演ずるか。はたまた、有閑マダムとしてでも、どうにかこうにか過ごしましょうか。幸い、時間と稼ぎだけはたくさんあるのですから……。