虫が怖い

 虫が怖いというのは、やはり彼から危害を被ると感じているのである。それは確かに所謂実害の類いではないが、しかし彼に触れることでなにか穢れを蒙ると思う(例えば鱗粉や体液といった何か)。そしてそれは決して洗い落とすことが出来ないもの(例えば罪)として予測され経験されるのである。


 穢れを恐れるのは、穢れをリアルにそして有効なものとして経験し、信じているものだけだ。そして、人は認識できる脅威をしか恐れることはできない。だから、微小な虫どもや微生物や住居内の生態系や公衆衛生の話を持ち出して、これらも等しく恐れなくてはならない、などと言い放ち、虫を嫌悪し恐れる人のその恐れをナンセンスだと決めつけようとするのはそれこそナンセンスだ。ここで経験されそして問われているのは、(残念ながら)虫が事実として清潔であるか否かではない。彼が「穢れた」ものであるという認識であり、またそれに伴う純粋に心的現象である恐れという感情その存在のことである。そもそも、恐れの無意味さを諭したところでそこに恐れがある(あった)ことを否定することはできないのだから、はじめから論点ハズレだ。議論はズレている。虫への無用な恐れ(すなわち差別偏見)を撲滅しようと目論むならば、誠に残念だが、まずはそこに恐れがあり、またこれが善悪以前に少なくとも何らかの故あることではあると了解(理解や納得ではなく)することから始めなくては益がない。そうでなければ、むしろ君が迫害者や嫌われものになってしまうだろうから。