おせっかい、もしくはめんどくさい

 ふと思った。批判するためだけに読む、というのは、若いうちにはひどく貧しい行為ではないかと。referするためだけに、信条に反する書物や作品を参照するというのは、誠実さのためにはたしかに必要だけど、そんなことをするのは自己や意見が確固と定まったお年になってからでもいいのではないか。そんな厳密さをくっつけるのは大人の仕事でいいのではないか。

 それまでは、周りを自分の大好きなものだけで埋めよう。金持ち喧嘩せずという言葉がある。二重の意味で本義とは違うけど、やっぱり実際の金持ちの子息にも落ち着いて寛容な人が多いというのはそういうことなんだと思う。世の中の窮状や先行きの暗さを憂えるのは年寄りだけで十分。過去と比較が出来る年になるまでは、ただにこにことして頬を紅潮させつつ、好きなものの素晴らしさだけを気にしていればいいのだ。義理を果たすのは大人の義務。人の好みはふんふん聞き流して、その人が幸せであるということただそれだけに感心すればいい。子供や若者は、ただいいものだけを摂取してふくふくと幸せにしていればきちんとして大人になれるのだ。

 

 なーんて書いても、私は批判するためだけに悪いものを見に行くことをやめられないし、あなたの好きなこれはこれこれこういうところが悪いとわざわざ言いに行くような「意地悪」も、正直言ってやめたくない。上で言うところの「金持ち喧嘩せず」みたいな牧歌的な不干渉では、悪しき貴族主義しか育たないんじゃないかなと思う。良いものが与えられる環境にある人、たまたまそれに囲まれて育った人しか「喧嘩せず」にはいることが出来ないから。これでは、もとから悪いものといいものとの違いを知っている人でなければ、いいものに囲まれて生きることも、穏やかに暮らすことも、互いの好きを放牧して気にしないでいるなんてことも出来ない。

 陶冶は必要なことだ。たとえ人からの顰蹙を買ったとしても、中年や壮年になったときなんかのためにも努力して、いいものと悪いものとを区別していかなくてはいけないと思う。これはむしろ互いの好みを守るためで、そのために、良いと悪いとを気にしなくてはならない。楽観主義や“優しい世界”が悪いとは言わないけど……いや、やっぱり悪いと言いたい。良くないものは批判するべきで、それで好きなものを批判されたら言い返してほしいと思う。感性は人それぞれっていうけど、そこでいう「感性」なんていうものは、そんなに簡単に見えてくるものではないんじゃない?そもそも批判は否定でないし、好みは人それぞれってことにして関係を円滑にするなんてのは(最果タヒじゃないけれど*)「人間諦め」ているでしょう。

 

 それでも人間、自分が好きなものを、ださい、とか優れていない、とか言われると、自分の人格とか感性とかそれこそ人生を否定された気分になる(らしい)から、こんな剛毅なことで突っ張っているのはやっぱりおかしいな、ということにもなる(みたいだ)。私に言わせればそれは反論できるだけの材料を集めてこなかった自分の準備不足が悪いのであって、批判してきた相手が悪いだなんてただの逆恨みというだけなんだけど、それでもやっぱり(私も人の子だから)、その人の「好き」を、(たとえ本気の言葉であっても)私の投げかけた言葉で奪ったり傷つけたりしてしまうことを忍びないと思う心も一応持っている。みんながみんな理論武装した自分の「好き」を眺めてニヤニヤ出来る変態的嗜好の持ち主でもないから……そう自分に言い聞かせる。

 とはいえ本心では、結局そんな生温い気遣いでお互いのテリトリーを侵さないように務めるなんてやり方で「人間諦め」たくはないと思っている。必要なゾーニングと生温い住み分けとは別のものだ……これは自分の好き嫌いを押し付けるというのとは違う……と思う。自分で考えて良くないと思ったものは、人に伝えたい。そういう欲望を少なくとも私は残念ながら(?)抑えることが出来ない。人間、わかり合うことはできなくても、そうすることで知り合うことくらいは出来ると思う。それでもこういうことをして、親友と思っていた人とすら縁が切れてしまうことがあるのは、とてもつまらないことだ。


*論旨は全くずれていますが。http://www.daiwashobo.co.jp/web/html/prism/vol06.html



 追記(3/2)

 批判するには体力がいる。精神力とかスタミナとか別にそういうんじゃなくて、それまでに沢山のそういうのを読んできて見てきた蓄積だ。誰かが言っていたけど、普段本を最後まで読まない人はたまに読んだ本にえらく影響されてしまうようだ。まあわかる。きちんと沢山読んでからでないと、そもそも何かを選ぶことが出来ない。未熟なミイラ取りはミイラになりやすいんだ。それに、もしかしたら、ミイラっていうのは井戸の中で生活してきたカエルのことなのかもしれない。だから批判されると烈火のごとく怒って、人格まで否定された気になってしまう。だって彼はそれしか持ってないから。持ってるものがそれしかないなら、彼はそれと同一化する他ない。どれもとても悲しいことだなと思う。